大吠え PartⅡ




[0] 大吠え PartⅡ

投稿者: Stand up again 投稿日:2019年 2月 9日(土)10時59分9秒 

本家「大吠え」で拾ったネタ中心
それ以外のネタもあり

本家「大吠え」の流れをせき止めないように作成


もちろん無関係自発投稿もOK





[13] Re: ショスタコーヴィチ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月21日(木)04時25分45秒  返信   編集済

さて、オーディション。

尤も心を開いて聞ける3楽章からのソロ。

まず、マック氏の模範演奏。
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkyLX6RH6iWJISxY

次は、マック氏が所属するクリーヴランドオーケストラと1991年の7月に演奏したもの。
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgk3jh9AZ3kuXjG60

3楽章全体はこういう音楽。
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgk_4NfQCl2tui5PR

それから、この音楽に続く、尤も英雄的?な4楽章の冒頭部と終わり。
どちらも、空疎なバカ騒ぎ。

https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsglA8TqMQBWWknN3c

https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsglEIBUHiUWX35WYz


さて、マック氏のコメント。
In this passage from Shostakovich's 5th Symphony, the Oboe comes in a high C, as the last 8th note of the bar, its preceded by at least two bars of 8th notes played by the second violins and we have to match them exactly.
5番からのパッセージ、オーボーは、最初の小節の最後の八分音符、高いハ音で入ってきます。
この前の2つの小節で、同じ個所の八分音符が、第二ヴァイオリンで演奏されているから、彼らのイントネーションや表情を良く聞いてそれをコピーする必要があります。

It's very important also in this passage to count the subdivision of 8th notes, religiously. If you don't , it just won't sound well at all.
八分音符ですが、演奏するときは、もっと細かく分割して数えることです。これは、お祈りでもするかのように真剣に、さぼると良い演奏にはなりません。

, and I think that the composer knew best about this exceedingly  lonely sighing passage and I do not think there is anything heroic in this passage, where it should be, and I certainly will breath before the high B-flat.

作曲家は、このとても孤独で溜息のような音楽に腐心したと思います。ここには英雄的な要素は皆無です。そうであってもおかしくない筈なのに。それから、息継ぎは変ロ音の前で。

Another little personal note from me, form an oboist's standpoint, the slur from G to Eb in the last bar confronted me on several occasions, because you are in c minor and want the Eb be low enough.  I've also had personally problems coming out from F to Eb, in the same key.
個人的に、そして、オーボー奏者的見地から、ト音と変ホ音を結ぶスラーがうまくいかなかったことが何度もあります。ここはハ短調だから、変ホ音のピッチを充分低く演奏する必要があります(ハ短調音階は、ハ、二、変ホ、へ、ト、変イ、ロだから、変ホが、単調としての色合いを決定する重要な音)。同じようにヘから、変ホへの推移もありますね。

For me personally, since I play against my lower lip more in the lower register,  when I am playing the G if I orient the reeds to my lower lip, I get the Eb one hundred %. It's low enough and soft enough. That may not work for everyone, but it does work for me and might help someone.
私個人の作法ですが、低い音域では、下唇にリードをより押し付けて発声します。ト音を演奏するとき、下唇でとると、その後の変ホ音は、十分低いピッチで柔らかく発音できて、まず失敗がありません。
みんながみんなこのやり方でうまくいくとは限りませんが、私はこれを解決法としており、他の人でもうまくいくかもしれませんね。

今回は、音の文法(アーティキュレイションや装飾和音など)よりも、どうやってこの場で求められている「音」を出すかということに主眼が置かれている。

3楽章に「英雄的なところが全くない」というのは、自分自身の感じ方を裏付けてもらったようでうれしい。

一方で、非常に基本的なこと(例えば拍の数え方)を決して疎かにしない。息継も、管楽器にとっては重要なポイント。

そして、ピッチをどうとるかを具体的に説明している。ピアノは、鍵盤の押し方によってピッチが変わることはないから、その点はありがたい・・・・


http://



[12] ショスタコーヴィチ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月21日(木)03時31分15秒  返信

オーボーのオーディション、次はショスタコーヴィチ

非常に好きな作曲家(20世紀では、Bartok Belaの音楽が最も性に合う)。
ただ、彼の有名なシンフォニーは、好かない。仰々しくて、Pretentious(虚勢を張るとでも訳するか・・・・)。
だが、それは作曲家の咎ではない。

Ouenさんのところでも書いたが、ソ連時代の政治体制で、絶対容認できなかったのが、権力者が芸術を判ったようなふりをして「ブルジョア的退廃」などという名目で、芸術の質の線引きをやっていたこと。
中国でも、祖国を讃えるオペラ(聞いたが愚作)などが作曲され、鉄道でBGMとして掛かっていたと読んだこともある。
それだけで、これら社会体制のうさん臭さが如実だ。あの国が華やかかりしころ、日本の音楽家や芸術家の中に、「理想の社会が実現した」と礼賛する人たちが結構いたものだが、同じ芸術家が、そのような理由で阻害迫害されるのを見て何故現実を認められなかったのか?不思議だし残念だ。
体制が崩壊してから言っているのではない。1970年代半ば、個人的な理由で、狸穴町にあったソ連大使館が主体となった日本語放送を聞いていたことがあるが、そこで名前も聞いたことのない作曲家が、「我がソ連邦を代表する」という誇らしげな肩書で語られ(そして、演奏された作品は屑だった)、一級の作品を残している人たちが、「優秀な」という言葉で切り捨てられているのを聞いて、「これは茶番だ」と感じずにはおれなかった。

そもそもブルジョア的とは、何たる傲慢。
芸術には良いか悪いかしかない。
個人の好悪の判断として嫌いならそう言え。
それを、イデオロギーで権威・順序付けなど、言語道断。
芸術は人間の創造性の発露であっても、社会の進歩の歯車ではない。
堂々と余暇・無駄でよい。

退廃上等!

人間が、課せられた仕事でないところで、最善を発揮できるという素晴らしい皮肉、パラドックスの証拠であり、それがゆえ人間は、愛すべき存在なのだ。

しかし、あの時代、権力者に、社会を讃え、その一員であることを誇らしげに宣言すると阿らねば、芸術家たちは、即座にシベリアに送られ、命を奪われた。

いわば、常に死刑台に片足をかけた状態で、この作曲家(そして、かの国の他の作家や芸術家たちも)は何十年も創作を続けた。そんな足かせなしに、自由に創作に勤しめたらもっと残された作品が増えただろうにと胸が痛くなる。

職人として第一級であったがゆえに、彼は望めばどんな音楽でも書けた。
この5番のシンフォニーは、革命というサブタイトル(例によって、作曲者と縁もゆかりもない人間のつけたニックネーム)があるが、その象徴とされる終楽章のあくどく、あからさまなファンファーレを聞くたびに吐き気を催さずにはおれない。

もちろん作曲家に対してではない。
権力にしがみつく人間の愚かさに対して。

Shostakovichは、その愚かな権力者の不安(常に自分の権力を確認し、他人がそれを是認してくれることを求める)を見事に癒す音楽を書いて見せる。

あたかもそれが本心であるかのように。

だが、この3楽章のように、彼らが気を抜く瞬間、Shostakovichは、本当の聴き手に語り掛ける。
この音楽のLunaticな青白さ。権力馬鹿には、静けさとしか映らない。

しかし、ここに潜む狂気寸前のテンションどう形容したらよいのか?
個人的には、産んだばかりの子供を失って、しかしそれを現実として受け入れられない若い女が、死んだ我が子を抱いて物思いにふける様を連想する・・・・・・

Shostakovichには、素晴らしい室内楽がいろいろとある。

その弦楽四重奏曲は、おそらく彼の本音、本領が発揮された作品群だろう。
このジャンルには、Beethovenの16曲が、不朽の大山脈として横たわっているが、そのあと19世紀のロマンは作曲家を飛び越えて、20世紀の2人、BartokとこのShostakovichの作品は、Classical音楽が演奏され続ける限り、決して忘れ去られることのない傑作だ。

そして、権力者は、3人や4人で「小ぢんまりとIntimate(この英語は訳しにくい。親密というよりももっとプライヴェイトな)」に演奏されるこのジャンルの音楽の演奏会など、鼻にも掛けなかっただろう。

なんだか、「吠え」らしくなってきた・・・



[11] 「メジャー」オーケストラ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月19日(火)00時21分29秒  返信

野球にメジャーリーグがあるように、USのオーケストラにもメジャーオーケストラという区分がある。

こちらは、予算の規模が、あるレヴェルを超えた楽団が、そう呼ばれているが、お金があるということは、高給の良いプレイヤーを雇えるということで、質も良いことになる。

楽団の運営のやり方も、スポーツ興行に似ていて、連邦や州政府からの助成金よりも、一般からの収入によって興行をまかなっている。
ただ、スポーツよりも茨の道で、時々予算不足が深刻になって倒産する団体もある。

野球とは違って、トレイドは極めて少ない。
音楽学校を出て、地方のオーケストラの首席になれる能力のある若い奏者は、次々にステップアップしていって、最後は、全米の5つぐらいのトップ楽団でキャリアを終えることになる。
トップに上がるとそこから他に行くことは極めて少ない(稀に、音楽監督と相性が良くないなどで、同レヴェルの団体に水平移動することもある・・)。


外国人が、トップにいることも結構多い。

野球よりもはるかに昔から、日本人の優秀な奏者が、USのメジャーオーケストラで演奏してきた。
日本人の音楽監督を戴いたメジャーオーケストラ(ボストン交響楽団)なんかもあった。

最近ものすごい勢いなのが、中国系の奏者。
中国で生まれ、教育を受けた後、音楽学校(大学レヴェル)で、USに来て、その後、USのトップオーケストラの首席のポジションをオーディションで勝ち取る奏者がこの20年で、ものすごく増えた。
ニューヨークのコンサートマスター(ヴァイオリンのトップで、オーケストラの顔)は、中国生まれだし、弦セクションには、中国、韓国、日系と、アジア人が「わんさか」いる。
スキャンダルで、免職になったが、オーボーの首席も中国人で、この人は音楽院を出た直後に、メジャーオーケストラのオーディションを次から次へと制覇して、あっというまに頂点(ニューヨークか必ずしも最高のオーケストラではないが、給料に関しては最高のひとつ)に上り詰めた天才だった。
(Me too運動で、ハラスメントを告発されて免職になってしまった)。サンフランシスコ(これもメジャー)のオーディションに受かって、音楽監督が大喜びしていたら、その直後のニューヨークのオーディションを優先して、ニューヨークに行ってしまい、奏者を引っこ抜かれたサンフランシスコの監督が激怒したというエピソードもあった。。



[10] お次は田舎の風景

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月19日(火)00時03分46秒  返信   編集済

オーディションCDでは、同じBrahmsの1番3番も取り上げられているが、同じ作曲家ばかりというのも芸がないから、少し浮気して(笑)また後程Brahmsに戻ってこようと思う。

次は、じゃあ、Beethovenでもいってみるか。

3,5,6,7,9番からオーボエ(という発音も日本風じゃないかな?イタリア語が、オーボェ、英語圏なら、オゥボゥ、フランス語なら、オーボワ、ドイツ語も、オーゥボワ)のソロを抜き出していて、これを聞けばその奏者の技巧も音楽性も判定できるという印象を受けるものばかり・・・

そのなかで、5番と7番は、いわば、オーボ―にCadenza(カデンツァ、協奏曲で、ソロ楽器に長い独奏場面が与えられている、見せ所)的な役割が与えられているが、6番のそれは、田舎の楽しいダンスの風景(多分収穫の後のお祭り)。
田舎の楽隊のくせに、オーボ―とクラリネットはやけに上手い(クラリネットは、酔っぱらっているからこんな無謀なパッセージを吹こうとするのだろうね、笑)、一方、バッスーンは、3つしか音が吹けない(普段吹いたことのない人が、飛び入りで吹いているかのような)。そのアンバランスぶりも田舎風で良い。

まずは、6番のシンフォニーから、問題の3楽章全体。
3つの演奏は、すべてマック氏が所属するクリーヴランド管弦楽団のもの。

1970年1月の演奏会、
オーボーのソロ部分
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkXHjBKW5jyk_qo7
楽章全体の演奏
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkoLXlNuo15aUYlC

1977年12月のコマーシャルな録音
オーボーのソロ出場部
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkfddxyVrnmQ_-kq
全体の演奏
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkl2HvrUk3z0TbLA


1993年の演奏会。
再びオーボーのソロ登場部
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkaj-d664881khxO
全体の演奏
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkjMV2ZCEZQ12g5m

指揮者は、それぞれの時代の「オーケストラの監督」

1970年のは、マック氏自身、このオーケストラ(アメリカのメジャーで、当時もっとも上手だといわれていた)へ上ってきたのが、1965年、70年の時点で、43歳、脂の乗り切った頃の演奏。
1978年のは、それから10年近くたって、もうオーケストラのメンバーの中でもヴェテランの一人担った頃。
しかし凄いのが、1993年、それから15年経って、もう70歳なのに、演奏は全く枯れていない。
実はこの頃、USに来て、クリーヴランドへ行ったり、このオーケストラがニューヨークに来たりと、一番頻繁に聞くことができた。それまで、録音でしか聞けなかったのが、もう高齢にもかかわらず音の艶が失せず、そして以前より伸びやかに音楽を奏でていたこと。

この人に限らず、音楽家は、高齢になっても衰えを見せるどころか、どんどん芸風を深める人が多いのに驚かされる・・・



[9] まず最初

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月17日(日)02時46分1秒  返信   編集済

1曲スレで、御3方が楽しく語り合っていて、参加はしなかったけれど、いいなと思った。
当方の聞く音楽は、あまり賛同者が出そうにない(苦笑)。会話もあまり弾みそうにない・・

だから、ここでこそこそと「音楽に吠えて」もらおう。

オーボエ・オーディションの最初に取り上げるのは、Brahmsのシンフォニーで個人的に最も好きな、2番の3楽章。

これが、John Mack(ジョン・マック)氏のソロ
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkH5WrXG3f6P2xPb

その解説。この短いフレーズを演奏するにも、プロはここまで、踏み込んで細かい分析・心遣いをしている・・・
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkIFaUWoxAE-el4Q

最後に、マック氏が、所属していたClevelandオーケストラと1987年にコマーシャルに録音した、同楽章。
ほかの楽器も入るとこんな音楽になる。
https://1drv.ms/u/s!AuB-Bel_vOJsgkNHJJYoP9lRvSEv



マック氏の解説を起こしてみた。少し聞き取りにくい箇所もあったが容赦。

In the Andante Grazioso quasi Andantino movement of the Brahms 2nd Symphony, there is one of those enormously interesting and very difficult solos in the repertoire.

3楽章(作曲家指示の表情がイタリア語で書かれている、Graziosoとは楽し気に)は、オーボエのレパトワーの中で、面白いと同時い、最も困難な作品です。

(説明のためには、楽譜が必要なので、添付してある。日本時代に買った音楽之友社のスコア・・・)

There are several things going on here at once, and I am going to show you like play this piece many many years before I began to understand what is going on.
Right now, if you would like to, there is something it came to a Sarabande in this movement, as you can see by what happens in the way of last two bars, last three bars actually, and in the last two bars of the movement, and the other slight Sarabande effects in bars 4, 8, 9, 10, 11, and that is where we have in three, the second beat sort of an answer to the first beat, almost with equal strength but not quite, sounding like a syncopation.
いくつもの出来事が並行して進んでいます。若いころ、まだ理解するに至らない頃に立ち返って、それらを明かにして行こうと思います。まず、最初に。この曲はサラバンド風です。それは最後の2小節、いや3小節か、に明らかで、4,8,9,10,11小節でもそれ風なところがありますね。3拍子リズムの2拍目が1拍目に応えている。この2音は、ほぼ同じ強さで、しかしニュアンスをつけて、シンコペイションのように響かせると良い。

In the first two bars, we must keep traveling, not only through the notes but during the notes because cellos are playing pizzicatos and they are playing  6 x 8ths, starting in the bar the instrument coming up bang bang bang bang ping bang something like so we have to go through the notes and we have to play the grace notes with sufficient permanence that would be heard upfront, and it’s amazing how much you can give on that grace notes to have people tell you afterwards they couldn’t do the grace notes out front.

最初の2小節では、それぞれの音を歌うだけでなく、通じて歌ってゆかねばなりません。そして、チェロがピッツィカートで一小節あたり6つの8分音符を演奏し続けているから、(ここでチェロのメロディーを歌う)オーボエはメロディーラインを維持して歌わないといけないのです。装飾音符も、はっきりと聞こえるように、心持ち早めに、しかし、だからといって聞いている人が装飾音の出が、早すぎると苦情を言わない程度に止めるだけでも、驚くほど工夫の余地があるものです。

I would suggest that in Bar 5. You not make too much of a division after downbeat G, but to play it more like what is written two bars afterwards. We come to the EDs and I would suggest that we need a little space there.  Teh tah tah, teeh taah teeh  taah, paaaah yang paah, yang, paah, but in the forth bar the second oboe comes in and the harmony changes. I would play long and special, not necessarily strong, but I think even softer may be a good idea、it will catch the ear of the listener because the harmony changes anyway and notice that the crescendo goes straight through for 3 bars, through everything, through all notes down to the, downbeat of the last bar of the opening portion.

5小節目で、ダウンビートのG(ソ)音の後、あまり間を開けないように。イントネイションは違いますが、7小節目で、同じ音型が繰り返されています。そちらのイントネイションに近いやり方で演奏すると良いかもしれません。(5小節目では四分音符のG音の後、スラーが掛ってのいるから、G音は独立した要素です。そこは、はっきりと音を切るべき。一方、7小節目は同じ音型なのに、G音を含めてスラーが掛っている、つまり同じフレイズであるから、連続して演奏する。しかし、それぞれの4分音符にスタカートがついているから、音の長さは8分音符扱いで、それぞれの間に八分音符相当の間が必要)。その次のホ音とニ音も、ほんの少しだけ、間を開ける方がよいと勧めます。そこから、4小節で、第二オーボエが合奏に加わり、和声が変化します。私なら、ここは少し長めに、そしてそれまでとは変わったやりからで演奏します。といって、音を強めてはいけません。むしろソフトに。そもそも和声が変化するから、聞き手は気づきますし、クレシェンドがこの3小節全部に指示されていますね。それはすべての楽器への指示です。クレシェンド効果は、この開始部分の最後の小節の第一音まで及んでいる(息の長い増音である)ことを忘れずに。


It is very typical of the players of our instrument, to not vibrate the last notes before arrivals.
I noticed everyone who’s ever played this piece for me those last 4 bars does not vibrate them.
The 8th note at the end of 1st bar, the 2nd bar and the 3rd bar or the c# in the 4th bar, thereby making it sound unnatural, and making it stick out in an incorrect fashion.

I am not suggesting you should vibrate the note and make a Federal case out of it, but simply keeping it being audited in your playing.

我々オーボエ奏者たちは、フレーズの最後の音にヴィブラートを掛けない風潮があります。私が聞いた人たちも、みな最後の4つの小節の推移音の最後の音に、ヴィブラートをつけていませんでした。
この4つの小節、1~3小節の最後の8分音符と、4小節目の嬰ハ音は、ヴィブラートなしでは不自然で、聞いていると「間違ったやり方」で演奏されていると印象を与えてしまいます。

だからといって、皆さんにこれらすべての音をお決まりのようにヴィブラート掛けろと言っているのではありません。ただ、掛け忘れて、後で審査員からマイナス点として指摘されることを避けるよう、心掛けて置いて下さい。



*Sarabande; イスラムの影響もみられる、スペイン風ダンス。2小節がユニットになって進行する。 荘重なリズム。2拍と3拍目とが結合、付点四分+八分音符となることも多い(Brahmsの2番もそう)。ダンスの時、足を引き摺る運動に対応しているといわれる。


時間にして20秒ほどが、オーディションで求められる。たったそれだけ。

しかし、どの参加者も注意深く音楽の構造を理解し、一音一音の強さ、長さ、それぞれのつながりを考えた上どのように演奏すべきかを理論化して臨んでいることだろう。

マック氏が言っていることは、一見技術的作曲技法的理解のベイシックに過ぎないように聞こえるかもしれない。しかし、何十年演奏してきた曲でも、毎回、基本を疎かにせず、譜面を見直さなければならない。惰性で演奏することは許されない。

審査員も、それぞれが卓越した音楽家であり、自分のオリジナルな聞き方で、審査している。

その上に、まだ言葉に表せない音楽的表現というものがある。
例えば、審査員が、意見の違いを超えて、聞きほれずにはおれない音楽を奏でる抜群の奏者もいるだろう。

音楽を生業とすることも、深く、果てしない世界だなと、感嘆せざるを得ない。

そして・・・・人間って凄いね。



[8] オーボエに戻る

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月17日(日)01時57分23秒  返信

さて、必ずしも大吠え=オーボエにあらずだが、とりあえずオーボエに乗った以上、落とし前(笑)をどこでつけるか、考えないといけない・・・

ふと、オーケストラのオーディションに頻繁に使われるオーボエの名所、難所を敬愛するJohn Mack氏が解説しつつ、演奏しているCDがあったことを思い出した。

収録されているのは、
Bachのカンタータが2曲(バッハは、本当にオーボエのために素晴らしい音楽を残してくれた)。
そして、マタイ受難曲のソロ。

続いて、Beethoven
ベートーヴェンも、交響曲、ピアノ・ヴァイオリンの協奏曲、管弦楽曲、ミサの中で、オーボエにJuicyな(美味しい)ソロを書いている。
交響曲から、3,5,6,7が選らばれている。

続いてBrahms
交響曲から1~3番のソロ。

Tchaikovskyの4番

どうしてもOrchestraのオーディションだから、ヘヴィーでシンフォニックなのが多いね。
オーボエの入った室内楽とか、オーボエのソナタなんかもよい音楽が多いのだが。

Rimsky-Korsakovのシェヘラザード

Rossiniのアルジェのイタリア女序曲

Schubertの8番(C Major)の2楽章

Bartokのオーケストラのための協奏曲

Debussyの海

Mussorgskyの歌劇ホヴァンチーナの序曲

Ravelのクープランの墓

Shostakovichの5番3楽章、Lunatic、Insaneとすら思える不思議な音楽・・・

それぞれのソロを、演奏しつつ、何処に気を付けて演奏すべきか、丁寧に解説してくれている。

これを取り上げてみようか・・・・



[7] テューニング・ピッチ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月11日(月)06時34分9秒  返信

>440に合わせるか442にするかはまた別に

USだと、オーケストラによって、440か442が違うね。

クリーヴランド、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルスなどは、440
ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアは、442

ある時、ロシアのピアニスト、エミール・ギレリスが、フィラデルフィアと共演した時、その前にシカゴだったかで使った自分のピアノ(440に調音されていた)を442に調音し直すため、調律師が苦労している(もちろん、88の鍵盤それぞれの弦の張力を再調整する)のを見て、指揮者、ユージン・オーマンディーに今回だけオーケストラの方を440にしたらどうでしょうと持ち掛け、
指揮者も同意したのだが・・・・

リハーサルで(ピアノ協奏曲の時は、コンサートマスターなりが、ピアノのAをたたき、それを基にオーボエが音を拾って、オーケストラ全部に音を渡す)ピアノの音を聞いたオーボエ奏者が、
「あきまへん、このピッチでは吹けまへん!」と怒鳴り、指揮者面目丸つぶれ、しかしオーケストラの言う通りにするしかなかったという逸話を、ピアノ調律師のFranz Mohrという人が書き残しているね。

指揮者の中には、自分のオーケストラとの契約で、「ピッチを設定する権利は、オーケストラではなく、指揮者にある」という契約書を交わしている強面もいた(ClevelandにおけるGeorge Szell)が、普通はオーケストラ固有のピッチを変えることは、まず不可能と聞いたことがある。

ヨーロッパのピッチはもっと高くて、ベルリンやヴィ―ンのAは、ほとんど445から446にもなるのも、CDなどの録音を聞けば明らか。

445でも、音でいう半音の更に何十分の一という小ささだが、私ぐらいの盆暗でもその違いは分かるし、音の色が変わって聞こえる。

だた、最相葉月という著者の絶対音感という本で、絶対音感が発達し過ぎると、却ってこの微妙な違いにすら順応できなくなってしまうという記載があって、以前トラバクさんも批判していたね。

例えば、器楽奏者は、ワンシーズンにヨーロッパ、US、世界中を旅してまわる。それぞれのオーケストラで違ったピッチに出会うわけだが、そのたびに文句をつけて騒動を引き起こすなんて、聞いたことない。
リハーサル後飲み屋でこぼすことはあるかもしれないが・・・
それとも、プロ中のプロたるこれらの音楽家は、絶対音感が未熟なのかな(笑)??



[6] Re: バッハとオーボエ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月11日(月)01時12分45秒  返信

オーボエに沢山レパトワーを与えた作曲家というと、J.S.バッハを挙げないと不公平。
声楽曲、特に200近くあるカンタータのなかで、オーボエやその姉妹楽器、オーボエ・ダ・モーレがソロを与えられたり、合奏で声楽と共演している曲が多い。

ロ短調ミサ、マタイなどの受難曲でも、オーボエのソロが主役を務めるナンバーがいくつかある。




[5] Re: ロシアのオーボエ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月10日(日)10時10分41秒  返信

さて、何処までをヨーロッパと考えるか?
いつも疑問になること。

ロシア・ソヴィエトはヨーロッパなのか?

楽器、特にオーボエに関して言えば、90年ごろまでそうではなかった。

ヴィ―ンのオーボエは、独特。19世紀中ごろに、ヨーロッパの主流から分岐して、独自の進化を遂げた。

しかし、ソヴィエト時代のレニングラードのオーケストラは、もっと違っていた。
あの頃、首都のモスコー(モスクヴァ)を圧倒して、殆ど世界最高の(あくまで技巧、彼らはあまりに強音すぎる、ダイノソーみたいな)オーケストラがここにあった。

そのレニングラードの楽器も奏者も、ヨーロッパの標準から著しくかけ離れていた。

18世紀ぐらいのドイツの流儀が定着、そのまま歴史が封印されてしまったという評言も見たことがある。

https://www.baltimoresun.com/news/bs-xpm-1991-01-11-1991011138-story.html

それが、社会主義崩壊後、急速に楽器もヨーロッパ中央と同化した。

レニングラードという名称も過去のものになった(笑)。

今は、セント・ぺテルスブルグという旧称に戻った。

10年ほど前に聞いたときは、楽器と音色は、かなりヨーロッパに同化していた。
パワフルで豪華なサウンドは、昔の色香を感じさせるものだった。



[4] Re: オーボエ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月10日(日)09時54分59秒  返信

Oboeのリード部分の写真。

ここを息で振動させたものが、音の基本。
国ごとに違うと書いたが、USとヨーロッパがまず違うのは、リードの固さ。そのため音の性格が違う。
ふうわりとしたヨーロッパの音に対して、USの音は、もっと硬質、大理石の表面のような美しさがある。

一方ヨーロッパ(フランスがその中心)の中でも、ヴィ―ンのオーケストラは、独自の楽器を使う。
比較したVideoをNew York Timesのサイトで見つけた。

https://www.nytimes.com/video/arts/100000003028444/the-viennese-oboe.html

左の奏者がヴィ―ンフィルハーモニーの首席。右は、ヨーロッパの普通の楽器。
奏者も言っているように、ヴィ―ンの楽器は、ヴィブラートが少ない。
個人的に、「チャルメラ」風の音だと感じている。



[3] Re: オーボエ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月10日(日)00時49分31秒  返信

シンフォニックな作品で、オーケストラが全奏しているときでも、オーボエの響きに耳を傾けることが多い。

オーケストラでは、斜め後ろにいるクラリネットは、シングルリード。
構造上、本当にピアニッシモ、音量ゼロ近くで演奏できる。その空虚な響きは、尺八を連想させることもあって面白い。

一方ダブルリードのオーボエは本当のピアニッシモは苦手。
発言するときに、まず小さく咳払いをする人・・的なイメージもある。

John MackのいたころのClevelandは、クラリネットにFranklin Cohen, ファゴットにDavid McGillという天才奏者を擁していた。
どちらも国際コンペティションで輝かしい優勝歴を持つ選手。Mackにはそういう経歴はないが、1950年代から、ニューオーリンズ、ワシントンDCと少しずつステップアップしてきた、いわば練達の職人。

このオーケストラの当時の管楽器Quartetは、オーケストラ歴史に残る、ハイレヴェルなものだったと思っている。

コンサートホールで聞いていると、彼らの音は、たとえCounterpointの保持音を演奏していても、分厚いトゥッティを突き破るように、はっきりと聞こえてきたもの。

不思議に、録音されたCDなどでは、同じ音がそれほど聞こえてこない。
見える筈のない遠方の銀河のイメージが、重力レンズで拡大されるように、視覚でとらえた対象を、聴覚的に脳が拡大できるからなのかな?



[2] Re: オーボエ

投稿者: USA 投稿日:2019年 2月 9日(土)19時46分57秒  返信   編集済

掲示板もいろいろなスタイルがあって面白い。

一つの発言に、どんどん応答して、それをHubとしたコロニーが成長するスタイル

経時的に発言が集積されてゆくもの。
その中でも、長い表現の可能なものと、SNS的なもの・・・

ここのスタイルは、ショッピング・アーケードみたいなものが作れそうだね。

おや、暫く来ない間に、新しいモールが増築されている、へえ、こんな店ができたんだ。

15年ほど前、スウィス出身のオーボエ奏者といろいろ合わせて遊んだことを思い出す。

オーボエに限らず、管楽器は、存外レパトワーが少なくて、Vivaldiが協奏曲を濫造?したのを最後に、MozartがFlute, Oboe, Bassoon, Clarinet, Hornのコンチェルトと室内楽をいくつか、その後の、名前がよく知られる有名な19世紀作曲家たちは皆無。

Mozartだって、同曲をフルートの協奏曲に転用している。それがバレて、報酬をもらい損ねている。。。

あと、珍しくR. Straussにあって、その後Poulencがいろいろ室内楽を書いていたね。

この奏者とは、MozartとStraussをやった。
長いSequenceを演奏している最中に、フレーズの切れ目で息継ぎをする時、ものすごい加速度で空気が吸入されているのが印象的だった。バクっと空気の塊を食べるという感じかな?

あと、Poulencのソナタも、Scherzoが痛快だった。
https://www.youtube.com/watch?v=9hgiP3XLKQ8

オーボエは、国によって楽器の個性に幅があって、彼女は、USに来てから、ワシントンDCのナショナルシンフォニーの奏者について学んでいたが、固いリードに馴染むのに苦労したと説明してくれた。

幾人か、好きだった奏者がいる。

ClevelandのJohn Mack
90年代、もう晩年だったけれど、コンサートに行くたびに、その艶やかな音色と、端正ながら音楽性あふれる演奏に聞きほれたもの。

日本人で宮本文明という人は、Oboe的じゃない音を作り出すのが面白かった。ちょっと変わった芸風も。

あと、スウィス人のHeinz Holliger
作曲家としても前衛な作品を残している。

音楽関係の話題は、野球サイエンスよりもっと読者が少なそうだ・・・・



[1] 大吠え オーボエ

投稿者: Stand up again 投稿日:2019年 2月 9日(土)11時53分27秒  返信   編集済

大吠え

オーボエ
演奏会で真っ先に音を出す楽器

オーボエに合わせてチューニングをする

オーボエの音が響くといよいよだなという気持ちにさせられる
優しい柔らかい音

どうしてオーボエの音に合わせるのか
オーボエは管の抜き差しが出来ないので他の楽器に合わせられないという単純な理由

ファゴットも管の抜き差しはできないのだがオーボエに合わせるのが慣例
ファゴットの場合は現場でチューニングが出来ないので事前にオーボエと合わせておかなきゃならない

多くの木管楽器が今は金属製
オーボエはいまだに木製

繊細でかなり扱いの難しい楽器

Aの音に合わせる
ギターなんかでもチューナーでなく音叉で合わせる場合は5弦のAから合わすだろう
440に合わせるか442にするかはまた別に

日本のような高温多湿の国では特に取り扱いが難しい

Marigauxなんて名前で買う場合がある
日本では音が違ったりする
まあそこらは考えて製造されてはいるが日本は縦長
演奏先によっては音が違ってきてしまう

割れてしまうこともある
Yamahaは日本のメーカー
気候を考えて作られている
内側に合成樹脂を施して安定性を高めた製品もある

初級者なら4~50万くらいのもの
その上が80から100万くらいになり
あまり中間がない

奏者が少ないので歓迎されるが大人がやり出すには少し敷居の高い楽器

まあ大吠えに絡めた掴みなんでこれくらいで


お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.